2007/11/11

犬の小さい頃

生後1ヶ月ぐらいの子犬。
これは、家に来てまだ1週間ぐらいの頃の写真。
生後1ヶ月とちょっとになる。
買ったばかりのサークルの中で、すやすや眠っている。
よく見ると、薄目を開けている。

ウトウトしながら、こちらの様子を伺っている。
ネットショップで購入契約し空輸されてこの家に来た子犬だから、生まれた環境については全く知らない。
生後1ヶ月とちょっと、何人かのヒトの手に渡り、何カ所かの居場所を移動。
そして、やっと落ち着ける場所に着いたという安堵感が、この子犬にあるのかどうか、それはわからない。

過去も将来も無い。
その刹那が良ければそれで良い、良く無ければ良く無いような行動をとるだけさ。
というような「たくましいいい加減さ」はある。
一瞬一瞬を生きるために、その持っている能力を全開にして挑むのが野生動物なら、リリーは生活環境にこだわらない飼い犬としての能力を身につけていると言うべきか。
だから、いつでもどこでも、誰からでも、食事を与えられれば、食べる。
空腹や、不満や、要求があるときは吠える。

野生動物は、常に死と隣り合わせの生活をしているので、決して「手抜き」をしないらしいが、リリーは「手抜き」をする。
まずいエサは食べない。
いつ何時「食べれない」状況に追い込まれるかも知れないから、「食べれる」ときに食べておこうという野生の鉄則は、リリーにはこれっぽっちも無い。
食べなければ、そのうち美味しいエサが届くさ、という計算があるのかも知れない。

ヒトが感情移入して作り上げた愛犬のイメージは、その犬の現実では無い。
たぶん。
ヒトは、自身が作り上げた愛犬のイメージを通して、逆に、その犬に飼われているのかも知れない。
せっせとお金を使って犬を育て、育てられた犬は自身に託されたイメージでヒトを飼う。

結局ヒトは、犬を飼う自身を育てているのだね、いっぱいお金を使ってさ。
そうでなければ、こんな子犬が、ワガママいっぱいに生きて行ける余地は無い。
おもちゃと遊ぶ犬。
晩秋の季節の入口で、ペットのゴマちゃんに何事か話しかけているリリー。
「もうすぐ冬だね、ところで君は正月って知ってるかい?おいしいごちそうをいっぱい食えるんだぜ!」

おっと、リリーは女の子だったね。
でも、顔も大きくなって、頭はマウンテンゴリラみたいになっている。
今日で満6ヶ月。