2007/10/30

犬のもどかしさ


犬の口は、ときには、人の手の役割を果たしているようだ。

じゃれているのか、何かを伝えようとしているのか、ジャンプして人の手を咬むことが多くなった。

咬むと言っても、口で手を包み込む程度の咬み具合だから、敵意は無いのだろう。

だが、ジャンプ状態で咬まれて、そのまま着地すると、やはり痛い。

相手が無邪気だからと油断していると、こっちは痛い目にあうことになる。

執拗にジャンプして、手を咬む行為を続ける。
人の手をつかみたいもどかしさで、リリーは苛立っているように思える。

「咬む」という漢字は、口で交わるというイメージだ。
生き物は他者と関わらないと、生きてゆけない。
交流することが本能だとすれば、リリーの遊びも本能的だ。
だから、懸命に遊ぶ。
必死に遊ぶ。
興奮してくると、遊びが、ヒトの感覚の遊びでなくなる。
ヒトみたいに区切りが無い。
ヒトの動きに攻撃的なものを感じとると、すぐ臨戦態勢にはいる。

友好意識と敵対意識を、同時に持つことが可能なのか。
即座に、俊敏に対応することが必要であれば、それもあり得る。
犬とは、そういう生き物なのだろう。
ヒトもまた、即座に俊敏に対応しなければならない状況のなかでは、そうなるのだろう。

そういえば、「かむ」と「つかむ」も音的に似ている。
言葉も無い、手も無いリリーのもどかしさ。