2007/09/27

とき


写真は、かまってもらえないため、すねて、玄関の風除室の隅に体を押し付けて、じっとしているところ。

体をピクリとも動かさずに、人の動きを見つめている目だけがキョロキョロとよく動く。

あごをペタッと床に付けて、上目に人をみているときは、少々気持ちがくさっているときのようだ。

人なつっこい性格と、すねやすい性格が同居している。

人なつっこい分、リリーは人に期待する。
だが、人は休日以外、時間にしばられていて、自由に犬と遊べる時間が少ない。
適当にリリーの頭をなでて、去って行く。

いっぱい遊んでくれるときと、全然かまってくれないときが、どうして同じ「とき」の中に存在するのか。
もちろんリリーは、いつでもいっぱい遊びたい。

姿が見えないときや、気配が感じられないときは仕方が無いが、側にいて、あるいはどこかに気配があって、それなのに遊んでくれないとなると、リリーは悄然とする。
ちょっとすねる。
ちょっと怒る。
人を咬むふりをして、人の気を引こうとする。

それでも、人は遊んでくれない。
そうなると、リリーは何がなんだかわからなくなる。
どう動いて良いのか、見当がつかなくなる。

で、じっとして、人を見つめるしかなくなる。
見つめながら、だんだん眠くなる。

人は、いつも犬に見つめられている。
犬はいつも、なぜ?と考えている。