2012/06/20

振り返る犬

犬が振り返ると、そこに犬がいた。
「犬が西向きゃ尾は東」という「ことわざ」がある。

「ことわざ」と言うよりは、「言い回し」とか「慣用句」とか言った方が良いのかも知れない。

日常生活のことを論じる「ことわざ」や「言い回し」や「慣用句」に、犬がよく登場するのは、古来より犬がヒトの暮らしの内に密着した存在だったからだろう。

ヒトの暮らしと犬の生活は、それほど親近感に満ちたものだったようだ。
それは現在も、あまり変わらない。
犬の生活から何かを学ぶということも、あまり変わらない。

「犬が西向きゃ尾は東」
その意味するところは、「当たり前のこと。当然のことをことさらに強調していうこと。」だそうだ。

与謝蕪村の句に、「菜の花や月は東に日は西に」というのがある。
これは対極にあるふたつの大自然の美しいもの(満月と夕日)と、その中に置かれた菜の花の素朴な美しさを情景として詠い上げたものだと思う。

与謝蕪村の句には美意識があるが、「犬が西向きゃ尾は東」にはしゃれた生活認識がある。
われわれ庶民は、美意識よりは生活認識の方を向きたがる。
「ヒトが生活認識向きゃ尻は美意識」としゃれることが出来そうだ。

われわれ庶民は、「当たり前のことや当然のこと」を思考基準の根本に据えて生活しているように思う。
そういうことで、世間全般とうまく折合いがつき、平和に暮らしていけるのだ。
「犬が西向きゃ尾は東」は、われわれ庶民の考え方の根本なのだ。

ところが、置物の犬ならそういうことに違いないが、現実を生きている犬には固定観念は当てはまらない。

現実をアイデアする上で「当たり前のことや当然のこと」のような固定観念は必要ない、と犬は振り返る。
現実の世界は千変万化さ、と犬は振り返るのだ。

「犬が西向いても、尾も西さ」
振り返る犬のアイデアである。