2012/05/16

犬恐怖症

興味の対象を発見した時の表情。
「犬恐怖症」という病名があるかどうか知りませんが、「犬恐怖症」の傾向が強い人は、たまに見かけます。

「犬恐怖症」的傾向の強い人にとっては、その恐怖感は深刻です。

愛犬家と呼ばれるヒト達(私も含めて)は、犬に対する理解を深める努力をすると同時に、人間に対する理解や知識も深めるべきでしょう。

私自身、子どもの頃、犬に対して恐怖感を持っていたので、「犬恐怖症」的傾向については、ある程度解っているつもりです。

過去に、犬とのトラブルの体験を持ち、それが、いわゆるトラウマとなり、「心的外傷後ストレス障害」になるという事もあるようです。

多くの人は、ヘビが苦手です。
ヘビが苦手な人の大半は、ヘビが気持ち悪いから苦手であるという程度かも知れません。
しかし、ヘビに大きな恐怖を感じて、そのショックが心を傷つける場合もあります。
ヘビは、多くの場合、都会の日常で出くわす事は稀ですが、犬の場合は深刻です。

ペットブームと言われている昨今、犬は街中に溢れています。
普通に暮らしていて、私達が犬を見ないで一日を過ごすという事はあり得ない状況です。

愛犬家が、犬は愛らしい生き物だから、犬に恐怖を感じるのはおかしいと述べても、その意見には何の意味もありません。

愛犬家に、犬に対する愛情が実在するように、ある人には犬に対する「恐怖感が実在する」のです。

犬の不安なら理解できるが、人間の抱く不安にはチンプンカンプンという人は、人としての社会性が問われます。

飼犬の糞の後始末をしない愛犬家が少なく無いように、「社会性」に欠ける愛犬家は少なく無いのです。
他人の不快感に鈍感な人達が、ある人々のデリケートな「恐怖感」を理解できるはずがありません。

街中のあちこちに、犬の糞が置き去りにされているのをよく見かけます。
人間(他人)に対する理解の欠落感の表れだと思います。

犬のリードは、社会と犬を繋ぐ綱です。
「犬恐怖症」的傾向の人が、「愛犬家恐怖症」や「愛犬家憎悪症」に発展しないように、配慮が必要でしょう。

犬はヒトの良き友人であり。盲導犬などのようにヒトを助ける友人でもあるので、犬をよく知っている「愛犬家」の側からの、「犬恐怖症」的傾向の強い人に対する配慮が重要だと思います。