何か匂う。 |
犬(ペット)を飼うヒトの幸せばかりが強調されて、犬自身の幸せについての考察や研究は少ないのかも知れません。
個々の飼主が、それぞれの犬の幸せについて考えればいいじゃないか、ということなのでしょう。
多くの人々がゼロから出発し、試行錯誤しているうちに、犬は高齢期をむかえてしまいます。
犬の幸せについての到達点的な見解があれば、ヒトはそこから犬の幸せについての考えを発展させることが出来るでしょう。
それが犬の生活を理解する上での、ひとつの道筋になるかも知れません。
私は鎖に繋がれた飼い犬に、幸せは無いと思っています。
それを大前提にして、そこから犬の幸せについて考えることにしています。
「犬の幸せ」という言葉(考え)自体も、ヒトの側からの一方的なアイデアに過ぎません。
私達は、犬が嬉しがることについては多くのことを知っています。
それは犬の仕草や表情に出ます。
同時に、犬のつまらなそうな仕草や表情を見かけることも多いのです。
犬の幸せのひとつは、自由に野原を駆け回ること、自由にヒトと遊ぶことだと思っています。
しかしそれは、多くの飼い犬には、許されていません。
犬は不自由さの中に閉じ込められて、身の安全を保障されています。
犬の身の安全を守ることが、犬の幸せであるという考えは、ヒトの側からの一方的なアイデアであるような気がします。
おやつを与えたり、体を撫でたりして、犬の嬉しがることを多く実行すれば犬が幸せになるという考えもあることでしょう。
犬のご機嫌状態は、確かに幸せそうです。
でも、そんなときの犬の顔は、野山を駆け回っているときの犬の顔のように生き生きと輝いてはいません。
私は時々リリーを山に連れて行き、そこでリリーを遊ばせています。
犬が野山を駆け回るとき、犬は自身の能力を発揮することを楽しんでいるな、と私は感じています。
それは犬にとって、おやつを食べることよりも数段嬉しいことで、犬の生活の中では自身の能力(生きる力・生活を楽しむ力)のことを知ることは重要なことだと思います。
そこに犬の生活の幸せを理解するヒントがあるような気がします。
幸せの匂いかな。 |
クンクン? |